北鎌倉:南窓 宗雪 ジャングル月見茶会
宗雪です。1年ぶりの更新です!
アメリカはポートランドで小さなお茶会を開いたりしたのですが(最近大人気なオレゴン州ポートランドは本当に素敵なところでした。その話はまたあらためて)ようやく北鎌倉で念願の「ジャングル茶会」を催すことができました。
本日はそのご報告です。
まずは、北鎌倉のお話から。
北鎌倉。もちろん鎌倉は日本の観光地として有名な土地ですが、特に北鎌倉は世界に聞こえた巨匠、小津安二郎監督のいわゆる「紀子三部作」が大好きな私にとって、聖地とも言える土地です。
今は亡き銀座の並木座で、私はこの三部作と出会いました。
小津安二郎監督がその敷地内に居を構えたこともあるというまさに縁深き土地!
この浄智寺の脇道をかつて小津監督も行き来していたと考えるだけで胸熱です。
そして今年2018年4月より、その浄智寺谷戸にある本格的茶会スペース「宝庵」が一般開放されることになりました。
文人ジャーナリスト関口泰氏が、昭和9(1934)年に建築。設計は、戦前日本におけるモダニズム建築運動リーダーの山口文象氏。
文人ジャーナリスト関口泰氏が、昭和9(1934)年に建築。設計は、戦前日本におけるモダニズム建築運動リーダーの山口文象氏。
数奇屋建築には8畳と4畳半の茶室が、そして特筆すべきは1畳台目の離れの茶室「夢窓庵」です。
京都の高台寺にある「遺芳庵」の逆写しで(遺芳庵は逆勝手)丸い大きな窓が特徴です。
一畳台目(いちじょうだいめ)は、千利休が二畳敷きを切り取って作ったのが初めと言われる、究極の茶室。
茶の点前に必要な台目の道具畳と、客が座るのに必要な一畳だけにまで切り詰めた、茶室の中では最も狭いものです。亭主の他に、客は3名が精一杯。
私の好きな利休をテーマとした小説に井上靖の『本覺坊遺文』があります。利休の弟子、本覺坊を通して利休自死の謎に迫ろうとする井上靖さん晩年の傑作です。今をときめく安藤サクラさんのお父様、奥田瑛二さんが利休を演じた熊井啓監督の映画をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
映画にそのシーンがあったかどうかは不明なのですが(おそらくあったでしょう)、師利休の最後の点前を見るために、この2畳しかない茶室に次々と武士や茶人たちが入っていく場面があります。家康、利家、紹鴎、有楽、光秀、山上宗二。。生きている人も既に戦場で果てた人も入り乱れ、何十名となく。。
そんなことがあろうはずがないのですが、そんなことも可能かと思えるような不思議な空間。それが一畳台目です。
この一畳台目でお点前ができる!
それだけでとても幸せな気持ちになります。
今回、濃茶をこの「夢窓庵」で点てさせていただいた(ついそう言いたくなってしまう!)そのしつらえが、こちらです。
ここに至るまで、かなりの試行錯誤がありました。
お道具だてなど、詳細はまた後ほど。